神社にお参りすると願い事は叶うのか? その答えは鏡にあった!!

祈り

こんにちは、久川和人です。

あなたは、神社にお参りに行ったら、神様に願い事をしてますよね。

そして、その願い事は叶っていますか?

今回は、『神社にお参りすると願い事は叶うのか?』ということを僕なりの想いでお話していきます。

私は、このブログに書いているように、たくさんの神社へお参りに行っています。
なぜ、たくさんの神社へお参りに行っているかというと、神社の鳥居をくぐり、境内に入ると、そこは神域。その名のとおり、神様の領域に入ります。

神域は、優しい空気に包まれるような気持ちになり、心が落ち着くんですね。

私がなぜそのような気持ちになるのかというと、
神社は、昔から神様を敬ってきた人々の想いに満ちています。その人々の想いの中には、「感謝」・「怒り」・「不安」など、良いものも悪いものもあります。
神様や木々などの境内を取り巻く環境が、その人々の良い想い、悪い想いを浄化していき、無の状態にしていくことで、心が落ち着くのではないかと思っています。

私のうつ病がひどい時には、近所にある神社に、何度もお参りさせていただきました。うつ病で何もしたくないのに、なぜか神社には行けるんですよね。
もちろん、行きたくないなと思って、なかなか外に出られない時もありましたが、外へ出てしまえば、神社に向かって歩き出すんです。

神社に着いて、手水舎で手と口を清めてから、拝殿に向かい、神様に、
『うつ病が治りますように』
とお願いしていました。

そして、少しずつですが、うつ病も良くなってきて、神社以外にも外出できるようになったり、会社へ通えるようになったりして、普通の生活ができるようになりました。

私がうつ病が改善されたのも神様のおかげなのかもしれません。

最近では、私は東京都中央区日本橋にある、水天宮にお参りに行くことが増えてきました。

その理由は二つ。

一つ目が、水天宮の摂社である、宝生弁財天に勇気をもらえることです。

宝生弁財天のお社は、境内に入った左側にあります。

先日行った日は、60日に一度の「己巳の日(つちのとみのひ)」。

巳(み)とは蛇のことで縁起の良い動物といわれ、弁財天の使いです。「巳の日(みのひ)」は干支の蛇の日で、お金にまつわることを始めるのに良いといわれています。

お金にまつわることとは、

財布を新しくする。
宝くじを購入する。
投資を始める。

などですね。

そして、「巳の日」の中でも、「己巳の日」が最も縁起が良いのです。

弁財天というと、琵琶(びわ)などの楽器を持っているイメージがありませんか。
そして、ご利益というと、金運アップが思い浮かぶことが多いのではないでしょうか。

でも、水天宮に祀られている宝生弁財天は、楽器ではなく、刀や弓を持っています。金運のご利益もありますが、戦いの神様。

宝生弁財天のお姿を見たくても、水天宮の宝生弁財天のお社は、普段は扉が閉まっていてお姿を見ることができません。

それが、正月や毎月5日、巳の日、己巳の日だけは扉が開いて 宝生弁財天のお姿を見ることができるんです。
でも、扉は空いているのですが、宝生弁財天の前には、ガラスになっていて、ガラスの中はすだれがかかっているので、はっきりとは見えません。

でも、はっきりとは見えないながらも、宝生弁財天は座っていて、いつでも、刀や弓で戦う準備はできているというような顔立ちで私を見ているのです。

「うつ病と戦う私」

そんな私に勇気を与えれくれるような気がします。

そして、二つ目が、今回のタイトルにもなっている『その答えは鏡にあった!!』にも関係します。

二つ目の理由は、御神体の鏡を見ることです。

御神体とは、神様の宿る場所であり、鏡以外にも剣・玉・石・木など様々なもの。神社によっては、山全体や滝などもあります。

水天宮は拝殿の奥に、御神体の鏡があります。拝殿にあるお賽銭箱の前に立つと、正面奥の御神体の鏡に、自分の姿が映ります。

お賽銭箱のちょうど真ん中あたりに立つと、はっきりと自分の姿が映ります。それは、過去でも未来でもない、今この瞬間の自分。

その御神体の鏡に映し出される自分を見ていると、『神様というのは、自分の中に、その存在がいる』って思えてくるんです。

”鏡(かがみ)”に映った自分 の”我(が)”を無くすことができれば、
”か・が・み” の ”が” がなくなり、
”か・み” すなわち、自分が神になる。

とも言われています。

でも、我って何だかわかりますか?

辞書で『我』について調べてみると、

『わかがま。ひとりよがり。自分勝手な考え。自分本位の考え。』

って書いてあります。

それを完全に捨てるのは難しいので、神にはなれないんですね。

か・我(が)・み

の『我』が捨てられないから人間なんですね。

人間なので、神頼みをしようとして、神社で願い事を言います。

拝殿でお参りする時に、私が手を合わせると、鏡の中の私も手を合わせます。
そして、私が願い事をして最後にお辞儀をすると、鏡の中の私が、現実にいる私に向かって願い事を言ってお辞儀をするんです。

つまり、神様への願い事は、神様ではなくて、

『 鏡に映る自分に言っている』 ⇒ 『宣言している 』

ということ。

だから、

『今年一年、家族が健康で暮らせますように』(←最近の私の願い事)

とお願いしていることは、

『今年一年、家族が健康で暮らす!』

と宣言していることなんだと思っています。

うつ病がひどい時に、毎回、神様に

『うつ病が治りますように』

とお願いしていたことは、

『うつ病を治す!』

と毎回宣言していたんですね。

うつ病を治すために、定期的に病院へ通って治療を続けたり、外出できるように無理やり体を動かしたり、気分転換の方法を見つけたり、とにかく行動をしていました。

結局、
願い事は『神様に叶えてもらう』のではなく、『自分が叶える』。
神様が叶えるための後押しをしてくれる。
のだと思います。

戦国時代に、武将が神社に戦勝祈願をして、自ら戦地に行くのも同じ事ですね。
戦勝祈願をしても神様が代わりに戦ってくれません。
戦に勝つと宣言して、自分でその願いを叶えるために戦う。
神様はその後押しをしてくれていたのでしょう。

あなたも、『神様に叶えてもらう』ではなく、『叶えるために自分で宣言して実行する』をしてみてはいかがでしょうか。

私のように、うつ病で休職しても、人間関係の悩みでつらい日々を送っていたとしても、このような趣味ブログを始めたり、うつ病を改善させたりすることができました。

あなたにも幸せになってもらいたいという思いで、私はこのブログを書いています。

もし、このブログを読んで、ご意見、ご質問、感想などがありましたら、お気軽に連絡くださいね。
久川に問い合わせてみる。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



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