7章.私が再び上司に呼ばれた時のこと

雷

こんにちは、久川和人です。

前回は、「派遣先のお客様から、私の会社の営業へクレームが行き、私が役員や上司から散々怒鳴られます。その後、派遣先へ出社しましたが、何事もなく無事に過ごした。」のところまでお話しました。
(前回の記事→私が派遣先で初めてクレームを受けた後の時のこと
最初の記事→人と接するのが苦手です

今回は、私が再び上司に呼ばれた時のことについてお話していきます。

うつ病で一番辛いことは何か?

うつ病で一番つらいことは何かと聞かれると、どのように答えてよいか難しいです。

朝は会社へ行くこと、昼は会社で何かをすること、夜はなかなか寝付けないなど辛いことがたくさんあります。

一日の行動から、うつ病の辛いことを考えてみますと、朝が一番つらいですね。

朝の辛さについて説明させていただくと、朝は、体がだるく、起きる時間になっても、体を起こすことが非常に大変です。

頭の中では、「会社へ行かなきゃ」と思う反面、「会社に行きたくない」との思いが戦っています。そして、体はというと、「体を起こさなきゃ」と思う反面、「このまま寝ていたい」との思いが戦っています。

戦っている間は布団の上から動きません。朝の時間だけが過ぎていきます。

そして、「会社へ行く」、「体を起こす」が勝利すると、何とか起き上がります。

しかし、それが出勤時間に間に合わない時間だと、せっかく勝利しても水の泡。今日は体調不良でお休みが確定します。

でも、うつ病の最初の頃は、出勤時間には何とか間に合うものです。それが、徐々に間に合わない時が発生し、やがて、起きることもできなくなるのです。

次に、出勤時間に間に合うように起きても、今度は、食欲がありません。

私の朝食はパンと牛乳。うつ病の最初の頃は、パンが1枚食べられるのですが、徐々にそれが半分になり、数口だけになり、全く食べられないとなっていき、最後は牛乳だけしか飲めないとなっていきます。

そのあと、歯を磨く。着替える。これらもうつ病の私にとってはものすごく大変なことです。

要は何をするのも面倒になってくるのですね。それと、スーツに着替えることをしてしまうと、会社に行った際の憂うつな気分が思い出されるので、着替えることを拒否してしまいます。

そして、何とか着替えが終わると、家での最後の難関が、「家を出る」ことが待っています。

玄関に行くと、朝起きる時と同じように、「会社へ行かなきゃ」と「会社へ行きたくない」との思いが再び戦い始めます。そして、「会社へ行かなきゃ」が勝利すると、やっと、会社へ行くことができます。

ただ、「会社へ行きたくない」が勝利した場合、今度は、「会社に連絡したくない」と思うようになり、会社へ行った方が良いか、行かない方が良いのかがわからなくなります。

どのみち、憂うつな気分は変わらないということですね。うつ病とは難しいものです。

そして、家を出ても、数々の難関を越えなければ会社に行くことができません。

一つ目に、駅のホームで電車に乗ること。

二つ目に、電車の乗り換えること。

三つ目に、会社の最寄り駅で電車を降りること。

四つ目に、改札を出ること。

があります。

とにかく、この四つの難関を突破しなければ、会社へ行けません。

なぜ、これらが難関だったかというと、会社へ行きたくない、何もしたくないという気持ちが強いからです。

会社に近づくにつれ、体に拒否反応が出ます。めまいがしたり、体が震えたり、心臓がバクバクしたり、涙が出てきたりと様々な症状が出るのです。

そして頭では、不安が襲ってきて、会社に行きたくない気持ちが強くなることに加え、これらの四つは違う行動に移らなければいけないため、面倒だと思うようになります。

最初のうちはそれでも頑張って前に進めました。しかし、徐々にこれらの四つの難関で、先に行くことができず、引き返してしまうことがあります。

私は、幸いにも、うつ病がひどい時でも、電車に飛び込みたいと強く思ったことはありませんでした。

そんな難関に立ち向かって会社に勤めている私に対して、会社からは更なる仕打ちともいえることが待ち受けていました。

何が悪いの?

派遣されてから半年ぐらい経ちました。

相変わらず、お客様からは事あるたびに、

「久川さんは、システムにあまり詳しくないようですね。それでやっていけるの?」

と言われ続けます。

うつ病でも、頻繁に言われていると、最初の頃は落ち込んでいましたが、いつの間にか何とも思わなくなる、というか、どうでもよくなるんです。

言われても何とも思っていない態度が相手にも伝わるんですね。お客様は言った後に、面白くないような表情を浮かべるようになりました。

それでも、特に大きな問題も発生させず、3人でシステム担当者として仕事をしていました。

そんなある日のこと、再び、上司から呼び出しがあります。

その時は、「また、お客様からクレームがあったのだろう」、「もしかしたら、派遣契約の打ち切りかも」なんてことを思いました。

もちろん、「また怒鳴られるのではないか」、「私の意見は何も聞いてもらえない」と思い、不安でいっぱいになります。

でも、上司に呼び出されるのは2度目ということもあり、耐性ができているのか、もしくは、諦めてしまったのか、1度目ほどの不安はありませんでした。

そして、上司のいる自分の会社へ行きました。今度は、会議室で上司と私の2人だけです。

そして唐突に、上司の口から、私が想像していなかったことが告げられます。

「久川さんは降格になりました。理由は、管理職としての仕事をしていないからです。」

そのころの私は、役職としては管理職のポジションです。でも、会社の中で、管理職のポジションで、管理職としての仕事をしていない人はたくさんいました。

降格の理由は、明らかにこじつけでした。

そのあとの記憶はあまりありませんが、ほとんど会話もしなかったと思います。

理由を聞いても、

「管理職としての仕事をしていない。」

ただそれだけしか言われず、結局、上司からは、明確な回答はもらえなかったことは覚えています。

そして、その時は、私はあまりショックは受けませんでした。うつ病のためか、深く質問をするのも面倒だったのかもしれません。

その時に、

「派遣されたのは会社からの指示です。それで管理職の仕事をしていないから降格はおかしいのではないでしょうか?」

ぐらいのことは言ってみたかったですね。

それでも答えは、「管理職としての仕事をしていない。」と言われるだけだとは思います。

でも、帰りの電車の中で、真っ白な心に、不安という黒いしみがどんどん広がっていくように、徐々にショックが大きくなっていきます。

「この会社に私は必要とされていない。」

「派遣先でなんとか頑張っているのに、この仕打ちはひどい。」

「私が何をしたっていうんだ! 悪いことはしていない!」

そして、不安も大きくなっていきます。

「会社が信用できない。」

「給料はいくら減るのだろう。」

「妻に降格された事実を伝えるべきだろうか。」

その日は、夕食もほどんど食べられず、でも、妻には降格されたことを伝えることができました。睡眠薬の力も借りて、寝ることができましたが、明け方3時には目が覚めてそのまま次の日の朝を迎えました。

心の中では、会社に対する不信感が大きくなっていきます。その不信感で胸が苦しくなり、呼吸をするもの大変です。喉のつかえや頭痛など体に割る影響を与えます。

降格が告げられたことは、それだけ、心と体にダメージを与えるのですね。

それでも、その週は、休むことなく、派遣先へ行くことができました。人間の体は不思議です。

病院で

週末になり、心療内科へ行きます。

その頃は、心療内科へ行くことへの抵抗は無くなっており、普段であれば普通に診察を受けに行くことができるようになっていました。

しかし、今回は朝から憂うつです。

それは、「降格になったことで、会社への不信感が大きくなっている」ことがあり、診察時にどのように話したらよいのかで悩んでいて、うまい話し方が見つからない。

「うまく話せなかったどうしよう。」

ありのままに話をすれば良いだけなのに、そんなことで悩んでしまう。それが、うつ病だからなのか、そもそも、私が心配性なだけなのかはわかりません。

結局、悩みながら、病院へ行き、診察に呼ばれました。

主治医は、いつもどおり、今週の様子を聞きます。

「今週はどうでしたか?」

私はとくかく、「降格になったこと」、「会社への不信感が大きくなっていること」、そのことで、「不安や悩みがふえてしまったこと」を話します。

こんなことを話していると、悲しくなって、涙ぐんできました。そして言葉が途中で止まります。

「何で自分ばっかりこんな目に。」

心の中で思いましたが、言葉には出ません。

私にはどうしてその言葉が口から言えないのかがわかりません。診察室の中なので、基本的には何を言っても問題はないはずです。

でも言葉にできませんでした。

そのまましばらく沈黙が続きました。

主治医は、私が少し落ち着くのを待っていたのでしょうか。しばらくしてから話し始めました。

「辛かったでしょう。久川さん。ここでは言いたいことを言ってくださいね。言葉を選んだりしないで、とにかく、思いつくまましゃべってくださいね。口に出すだけでも気持ちは楽になるものですよ。」

私はその時、気が付きました。

そうなんです。心に思っている不安や不満、悲しいことなどは口に出すと少し楽になっているのです。

そして、涙を流すと、涙とともに頭の中や心の中の悪いものが出ていくような感じになります。その悪いものが出ていった後に空間ができることでゆとりが生まれるのです。

主治医は話を続けます。

「久川さんが自分でどうにもならないことは、考えても仕方がありません。でも、考えないでと言っても無理でしょう。考えてしまっても、その考え以外のことやモノに意識を向けてみるようにしてみてください。」

その時は、私は意識を別のものに向けるなんてできないと思いました。でも、意識を別のものに向ける。このことを心掛けるようにしました。

そうすると、ごくまれに、確かに意識が別のものに行くようになっていくことがあるようになりました。

そのあと、主治医と少し会話をして、病院を後にしました。

思いを口に出すことで、診察前に比べて、だいぶ気持ちが楽になりました。

でも、降格のショックはしばらく続きました。それでも、派遣先へは頑張って行きました。

そして、その2か月後、またもや予想しない出来事が待っているのでした。

(続く・・・私が最初に引継ぎを始めた時のこと



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