こんにちは。久川和人です。
前回は、「前回診察した病院とは違う所で、うつ病治療を再開しました。そして、会社の上司から、来週からお客様の会社へシステム運用担当者として派遣命令が出されます。翌週になり、仕事の引継ぎも全くできていない状態で、担当営業とお客様の会社へ行き、会議室へ通されます。」のところまでお話いたしました。
(→私がうつ病の治療中にお客様の会社へ派遣されることになった時のこと)
今回は、私がうつ病の治療中に派遣先で不信感を抱いた時のことについてお話していきます。
お客様との初対面
孤独という海辺に私は一人で立っています。そして、不安という大波が次から次へと押し寄せてきます。私はその大波に飲まれそうになって苦しんでいます。浜辺から離れれば安全なのに、どうして、私はその海辺から離れないのでしょうか? きっと、私は海辺からどこへ行けばよいのかわからず、大波が来ていても、海辺に立っているしかないと思っているのです。
「私は、どこへ行けばよいか?」
どこへ行けばよいか見つからないのではなく、見つけようとしない。見つけようという気が起きない。それは、私がうつ病だから、それとも、単に怠けたいだけ、自分でもよくわかりません。とにかく、ネガティブ思考なのです。
話を私がお客様の会社の会議室いる場面に戻します。
「お客様はどのような人だろうか。話ずらい人だったらどうしよう。」
「システム運用なんてしたことないし、わからないことがあったらどうしよう。」
「やる気のない私をみて、どう思うのだろうか。」
お客様の会社の会議室で、私は不安なことだけを考えています。考えても仕方がないことばかりです。
会議室に通されてから、5分ぐらい経ったでしょうか。ついに、お客様が会議室に入ってきました。
最初に思ったのは、この一言です。
「やばい」
お客様は40歳前後の男性。自分の思ったことは全部正しい、人の意見は絶対聞かなさそうな、難しい顔をしています。
お客様は、会議室に入るなり、早口でしゃべります。
「あなたが久川さんですね。経歴見る限り、システム運用は、さほどできなさそうだけど、大丈夫なの? できないようなら、できる人にシステム運用者を変えるなり対応してください。では、システム運用の席に行ってください。」
私の心の中では、すでにこの先やっていけない気がしています。お客様は、論理的に物事を考えるタイプ。私は、論理的ではなく、感覚的に物事を考えるタイプです。この一瞬の出来事で、私とは話が合わないと思いました。この考えは派遣期間中、変わることはありませんでした。
私が挨拶もできないまま、営業と別れました。そして、システム運用の席に案内されます。
システム運用の席には、二人が座っています。一人は50歳過ぎの気の優しそうな男性です。もう一人は30歳ぐらいで、やる気にあふれている感じがする男性です。
お客様は案内した途端に、行ってしまいました。
私は、システム運用の二人に挨拶をして、システム運用の概要や作業内容を教えてもらうことになります。
しかし、二人ともシステム運用の概要や作業内容を理解できていないので、説明を受けてもよくわかりません。
それもそのはず、二人は別の会社からの派遣されて、まだ1週間。しかも、システムのことはほどんどわからない。私と同様に、突然、派遣させられたらしく、システムを理解する時間もなかったとのことでした。
そのため、お客様がシステム運用をしており、時々、お客様からレクチャーを受けて勉強中の状態でした。
システム運用3名の中で、私がシステムについては一番詳しいことはわかりました。困った時に、頼れる相手がいない。この先どうなるのか、様々な不安を抱えたまま、私は、システム構築時の設計書や運用マニュアルなどを読み始めました。
上司からの突然の呼び出し
翌日以降、お客様からシステムについてもレクチャーを受けます。私は、お客様に会った時から苦手意識があるので、システムを覚えるということだけを意識して、レクチャーを受けました。お客様と会話をしたくないため、質問もほとんどしないようにしています。
「久川さんは、システムにあまり詳しくないようですね。それでやっていけるの?」
その言葉をレクチャーを受けるたびに、何度も言われました。
私は、心の中で、自分に伝えます。
「気にしない。気にしない。」
それでも、気にしてしまいますが、なんとか乗り切っていました。
2週間もすると、私は、ほどんどレクチャーを受けなくてもシステム運用をすることができるようになりました。そして、システム運用の二人も、システム運用をできるようになってきました。
「久川さんは、システムにあまり詳しくないようですね。それでやっていけるの?」
この言葉だけは、毎日のように、派遣中はずっと言われ続けていました。
私は日中帯に何度も、ふさぎ込みそうな沈んだ気持ちになります。それでも、ある程度決められている手順で作業をするので、何とか仕事はできました。食欲も少しは出てきて、お昼も外で食べられるようになってきました。睡眠は、睡眠薬を飲みながら、午後11時ごろに寝て、明け方4時ごろに目が覚めて、その後は眠れない状態でした。
派遣されている間も、毎週末、病院へ通いました。病院の待合室は、私より重症のうつ病患者も居て、見ているだけで辛くなることもあります。しかし、病院の先生や看護師さんは、私に優しく声をかけてくれます。そのちょっとしたことが、私にはとっても嬉しく、気持ちも少し楽になります。うつ病治療を再開してよかったと、思えるようになりました。
うつ病治療を再開する前は、100%ネガティブ思考だった私ですが、ネガティブ思考90%、ポジティブ思考10%となり、これからポジティブ思考が増えるという段階になってきたようでした。
しかし、100%ネガティブ思考に戻ってしまう事件が発生します。
派遣されてから1か月ほど経ったころ、突然、私の上司に呼ばれました。上司に理由を聞いても答えてもらえません。とにかく、帰りに会社へ寄れとしか言いません。
「何があったのだろうか?」
自分の会社へ向かう間、とにかく、不安が襲ってきます。でも、何となく上司に呼ばれた理由はわかっていました。
「やっぱりお客様とは相性が悪かった。私が、システムに詳しくないとか、仕事があまりできないといったクレームを入れた。」
私は、久しぶりに会社へ戻り、会議室へ行きました。そこには、担当営業や上司だけではなく、営業部長、技術部長など、偉い方が6人ぐらいずらりと座っています。皆さん険しい顔です。
私は、その光景を見て、会議室の前で一瞬立ち止まりましたが、勇気を出して席に座ります。
そして、上司が私に話しかけてきました。
上司が言ったことは、おおよそ私の予想どおりの内容でした。
- お客様からクレームが営業部にあった。
- システムに詳しくない。
- やるべき仕事を満足にできない。
と言ったことのようです。私はやっている仕事の内容と仕事はしていることを話しました。でも、私の仕事ぶりを誰も見ていませんし、仕事をしているという証明もできません。
私が悪いことをしていないのに、取調室で、容疑を認めろ、認めるまでここから出られないと言われているような環境です。
私の心の中では、色々な不安や不満が出てきます。
「私に非が無いわけではないが、仕事はしている。」
「問題になるようなことはやっていない。」
「少しは、私の言い分も聞いてほしい。」
「これだけ人がいても私の味方は誰もいない。」
「そもそも初めからお客様が求めるスキルレベルが高かったのに、そのスキルレベルが無い私を派遣した会社や上司の責任はないの?」
私は心の中のことは、一言もしゃべりませんでした。
結局、私が言い訳をしているようにしか聞こえないらしく、お客様からクレームが出ないように仕事をしろと、怒られ続けました。
会議室から出て、そのまま自宅へ。でも、深夜になってしまったため、途中駅までしか電車で帰れず、タクシーです。家に着いたのは、午前1時過ぎでした。
私が何を言っても信じてもらえない。私はこの会社では誰にも信用されていないということを身をもって感じた、長い長い一日でした。
せめてもの救いは、今日が金曜日だったこと。土曜日には、心が休まる病院が待っていました。
言葉の大事さ
精神的なショックは大きく、この日は、睡眠薬を飲んでもほどんで眠れず、土曜日の朝を迎えました。
最近は会社が休みの日は、不安に襲われることがほとんどなくなり、気持ちにゆとりができてきました。しかし、この日は、不安に加え、不信感までもが私の心のスペースに入りきらずに、心の上に乗っかてきます。さらに、乗り切れなかった不安と不信感は、私の心の外で順番待ちの行列ができています。
私が歩くと、不安と不信感という行列までもが私の後ろをついてきて離れない。そんな気持ちの中、病院へ行きました。
この日は、看護師さんの優しい言葉も、私の心に入る余裕はどこにもありません。不安と不信感という、私の心の中と外の行列を見て、優しさはどこかへ逃げて行きました。私も優しさを探す気力もありませんでした。
私が診察に呼ばれ、診察室に入ります。主治医は、私のいつもと違う雰囲気にすぐに気が付きます。
しかし、あくまでも、いつもどおり、今週一週間の出来事について聞かれます。
「今週一週間はどうでしたか?」
その問いに、私は、金曜日の出来事について話し始めます。話していると、だんだん、自分が惨めな気持ちになっていき、目が潤んできます。
その惨めさを見て、不安と不信感が同情してくれたのでしょうか。不安と不信感の行列が少しずつ短くなっていくような気持ちになります。そして、私の心の中の不安と不信感は、少しずつ口から出ていくように去っていきます。
でも、不安と不信感があまりにも大きすぎました。減っても、私の心に空きができません。
そのような中、最後に、不安と不信感に押しつぶされそうだと訴えました。
主治医は言いました。
「もっと言葉に出していいですよ。まだ、話し足りないようです。言葉は選ぶ必要はありません。難しければ、あまり考えずに、言いたい放題言ってみてください。」
その後も、私はいろいろと話をしました。何を言ったのかはよく覚えていません。言いたい放題言ったのだと思います。
そして、私の心の中にわずかな空きができてきました。それは、私の体に、針が一本させるかどうかぐらいの肉眼では見えないぐらいの大きさ。
主治医は最後に言いました。
「久川さんは間違っていないと思いますよ。そんなに会社から言われることはやっていません。自信を持っていいですよ。」
私の心が風船だったら、優しさの針で、不安と不信感が一気に割れて無くなってしまうのですが、残念ながら、風船ではありません。
でも、私の心の中に、優しさという針が刺さることで、針の周りに少しずつ優しさが浸透していきます。
私の仕事のことをほめてくれるのは主治医だけです。一人でもほめてくれる人がいる。たとえそれが、医者という立場から言っていたとしても、今の私にとっては、心の支えとなっていきました。
(続く・・・私が派遣先で初めてクレームを受けた後の時のこと)