4章.私がうつ病の治療中にお客様の会社へ派遣されることになった時のこと

波

こんにちは。久川和人です。

前回は、「うつ病の治療を再開するため、再び病院を探しました。インターネットで、通勤途中にある病院を予約。予約した時間に病院へ訪れます。診察室で、主治医に診察を受ける前に、看護師さんと面談が終わった。」のところまでお話いたしました。
(→私がうつ病の治療を再開した時のこと

今回は、私がうつ病の治療中にお客様の会社へ派遣されることになった時のことについてお話していきます。

主治医との対面

看護師さんの一言。

「辛かったでしょう。無理をしなくてもよいのですよ。」

この言葉を聞いただけでも、この病院を選んでよかったと思えました。

この頃は、仕事をしようとしても、やりたくないという気持ちが先行してしまい、仕事が手につかない。体調が良かったころの2、3割しか仕事ができない状態です。当然ですが、私が担当しているシステム開発のプロジェクトに影響が出てきます。会社では陰で「久川は使えねー」なんて声も聞こえてきます。

「仕事をしようとしてもできない。」
「できないと思ってしまう気持ちがとっても辛い。」
「やろうという気持ちが考えられない。」
「怠けているという罪悪感が頭から離れない。」

これが私のうつ病の状態です。でも、看護師さんの一言で、その時は気持ちが少し楽になりました。胸のつかえが少し和らぎました。

診察室に入る前までに不安だったこと。とくに、「医師や看護師から症状を聞かれたらどのように話せばよいのだろうか?」ということをいつの間か忘れていました。

そして、ついに、主治医との対面です。

「こんにちは。久川さん。山口と申します。よろしくお願いします。」

と診察室に入るなり、すぐに先生は、温かみのある話し方で挨拶をしました。

「・・・よろしくお願いします。」

と不安そうに返事をする私。

主治医となる先生は、ものごしの優しそうな雰囲気があり、30代から40代前半ぐらいの若い男性でした。

その先生の雰囲気から、少し安心しましたが、忘れかけていた「医師や看護師から症状を聞かれたらどのように話せばよいのだろうか?」ということを皮切りに様々な不安が再び思い出されます。

静かな浜辺のような心に、不安という大波が何の前触れもなく、いくつも立て続けにやってきて、そのまま大波に飲まれそうな状態です。心が呼吸もできず、もがき苦しんでいます。

そして、私の今の状況ついて質問が来ます。その時の会話の詳細な内容までは覚えていませんが、常に心の中では、

「心療内科に通っていたことは言うべきだろうか?」
「質問に対してどのように答えたらよいのだろうか?」

と思い続けながら、問診は続いてきました。

問診は、私にとっては、悪いことをして、取り調べされているような気分です。私は言葉を選びながら話します。都合の悪いことは極力話したくない。ありのままを話せば良いだけなのに、それができません。

「私は話すのが苦手で、自分のことをうまく表現できない。」

ということをいつも思っています。とくに自分のことを話さなければいけないときは、この思いがさらに強く出てしまい、人の話も満足に聞くことができません。

それでも、何とか質問に答えます。

先生は、うつ病患者の対応は慣れているのでしょうか。私のたどたどしい話し方でも困った様子もなく、急かすこともなく話を聞いてくれます。

私は結局、最後まで心療内科に通っていたことは言えませんでした。

一通り、先生からの質問が終わり、今後のことについて、先生から話をされました。

「本当は、しばらく休養をとるのがよいのですが、難しいと思いますので、夜に睡眠を取れるようになることから始めましょう。一週間分のうつ病の薬と睡眠薬を出します。」

と言われ、薬の効果と副作用についての説明をされました。

そして最後に、

「無理をしないで、ダメだと思ったら会社を休んでください。症状がさらに悪くなったりしたら一週間待たずに病院へ来ていただいても大丈夫です。ぜったいに無理しないようにしてくださいね。」

と言われました。私は「この先生なら信頼しても大丈夫なのではないか」と思いました。

再び、うつ病の薬を飲みながらの闘病生活をスタートさせました。

突然の派遣命令!

それから3か月が経ち、うつ病の薬の副作用は無くなり、睡眠は週1、2回、明け方4時ごろに目が覚めることもありますが、夜12時前には寝付くことができるようになりました。

うつ病の症状は、大きな変化はありませんが、悪くなることはありません。変化といえば、睡眠時間が増えたおかげかもしれませんが、昼間の強烈な眠気が少し治まってきました。そして、悲観的な感情が少しずつ和らいできました。しかし、仕事に対するやる気は無いままでした。

先生からは、

「趣味でも何でもよいので、楽しいと思えることを見つけてください。」

と言われました。

でも、私にとっては、楽しいことを見つける。これが難しいことなのです。趣味がない、友達もいない、なにをやるのも面倒なのです。楽しいことが見つからないというよりも、楽しいと思うことは何も無いと決めつけて、探してもいない状態でした。

そのようなときに、仕事で新しい案件が入ってきます。システム運用担当者として、お客様の会社の派遣社員として常駐する、という仕事です。

私は上司に呼ばれました。

「久川さんも知っていると思うが、システム運用担当者の仕事が来ている。来週から行ってもらいたい。」

私は答えます。

「私は、そのシステムは詳しくないので、運用担当者として仕事ができるかどうかわかりません。」

上司は強い口調で話します。

「とにかく、来週から行くように。今の仕事は、他のメンバーに引継ぎをしておくこと。」

派遣が決定しました。来週からいっても、今日は水曜日です。今週もあと2日しかありません。今の仕事から抜け出せる、と安心する一方、引き継ぎを誰にするのか、派遣先はどのような状態なのかと新たな不安が襲ってきて、心の中では処理するものがたくさん増えて、大変な状況となりました。

結局、仕事の引継ぎも満足にできず、派遣先の状況が全く見えないまま、週末を迎えます。

「引継ぎできていないけど、大丈夫だろうか?」
「職場はどんな雰囲気なんだろうか?」
「わからないことがあったら、誰かに聞くことはできるだろうか?」
「まさか毎日深夜残業とかだったら?」

あげたらキリがないぐらいの不安が襲ってきます。不安に押しつぶされそうになり、土曜日に病院へ行き、先生に話をしました。

「とくかく、無理をしないことです。今はできるだけ好きなことをして過ごしてください。音楽を聴いたりして、不安なことをできるだけ考えないようにしてください。」

先生に言われたように、音楽を聴いて、無理やり音楽に集中するようにしました。ただ、寝るときは、睡眠薬の力を借りて寝られるのですが、明け方4時には目が覚めて眠れないまま、月曜日を迎えました。

月曜日に、営業担当と一緒に、新しい職場へ行きました。営業担当が一緒にいるもの、最初の挨拶までです。それでも一人で行くよりは、大分気持ちは楽です。ただ、営業担当が帰った後、どうなるのかが全く分からず、これから何をやるのかもわからない。営業担当に聞いても、よくわからないとのこと。

ずいぶんいい加減だなと思いましたが、うつ病の私にとっては、仕事の内容がわかっていても、いなくても、不安の内容が違うだけで、不安が減るわけではありません。それについては、どうでもよいと思っていました。

派遣先の会社に着き、会議室へ通されました。そして、ついに派遣先のお客様と会うことになります。

うつ病のやる気のない私をみて、どう思うのだろうか。お客様に申し訳ない気持ちになって、お客様を待っていました。

(続く・・・ →私がうつ病の治療中に派遣先で不信感を抱いた時のこと



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